2020年01月13日

旗揚げから2020、『脚本』

昨年は公演で全精力を使い果たした、だが今も心は燻り続けている
公演が終わっても、年が明けても、今も被爆者の方は亡くなり続けているのだ
やがて原爆や戦争そのものを体験した方が一人もいなくなってしまうのだろう
実体験を語る人がいなくなったとき、残された者はどうやってそのバトンを同じ重みで渡し続けていけるのだろうか

今年はいつ公演をやるのですか?と多く聞かれる
非常に嬉しく、有難い。しかし、未定なのだ
旗揚げから幾年月、生命座はすべてオリジナルの脚本できた
主宰は脚本なんて簡単に書けるのでしょう、という人は多い
2時間の脚本をゼロから生み出すことが簡単な人がいたらお目にかかかりたい
書くことが大変というより、自分の場合、公演をやるために書く、ということができないのだ
普通の?劇団はおそらく定期的に公演をこなすために自作であれ既成であれ、脚本を用意するのだろう

自分は自分の中に駆り立てられるものが発信され、それを伝えなければという強迫観念にも似たものが沸き立たないと書けないのだ。そのため、題材が決まれば書くよりまずは調べるのにとことん時間をかける。現地に赴いたり関係者にも聞きこむ。そこで芝居にして伝えたい、という構想が生まれて初めて脚本となり、公演に繋がるのだ
題材や構想は、いわゆる「直感」というものかもしれない
それが働かないと絶対に書けない
幼い頃から良くも悪くも直感で生きてきたようなところがある

今回、あるエッセイストさんのコラムにうちのコメントを頂いた
「初めて生命座の芝居を観たのは確か、10年くらい前かな。友人に不思議な劇団があるから、と言われ興味本位でつきあった。劇団の芝居なんてどこも大した変わりがないと思っていた。しかし、その衝撃は今も残っている、ある宿主の体内のガン細胞と正常細胞の死闘を描いたものだった。子供だましの題材かと思いきや、ガン細胞がどうはびこっていき、どう巧みに正常な細胞を蝕んでいくのか、当時のガン医療を相当調べて書いたのだろうと思った。絵空事でない説得力がありながら、わかりやすくそして面白く、脳細胞だけは守ろうと身を挺して次々やられていく臓器細胞たちに、いつの間にか自分もがんばれ、負けるな!と珍しく熱くなってしまったこと。ふと見ると周りの観客がみんな泣いていたこと。それ以来公演があれば必ず観にいくことに。
しかし、不定期で大々的な宣伝もせず、当時は気を付けていないと見逃してしまいそうな本当に不思議な劇団だと思った。
でもガラスの仮面のファンがなかなか出ない新刊をずっと待っているように、最近は待っているのも期待値があがってきてワクワクする。現にすずなりの逸声、は良い意味で令和元年一位のトラウマになった。忘れることができない(笑)
やっぱくるね、生命座の作品は」

感謝です、次の直感がくるまで長い目で待っててください
posted by ユウカ at 00:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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