2022年06月28日

「310万人の送りバント」上演に至るまで〜

コロナ禍での二年ぶりの舞台、感染対策で収容を100名に減席した手作り舞台だったが、
ここが会議室だと忘れるほど惹き込まれたという感想を聞くにつけ、生命座に求められているものを痛感した公演でもあった。
時世や場所や関わる人がどうであれ、作品に言い訳はきかないと言うことを。

表現の業界も自粛モードになっていた頃、自分はひたすら脚本と向き合っていた。
早く舞台がやりたいからではない。
駆り立てられていた。ウイルスは人の心にも宿るのではないかと。
折しも世界では戦争が起き、見える敵すら、どの国のどんな偉い人も誰も止めることができない現実に。トップの気持ち一つで世界を破滅に追い込める核の現実に。
もう我々は戦争を知らない世代ではすまされないのだ、と。

情報をリアルタイムで検索できる時代になっても、人は人間はやはり同じ過ちを繰り返す。
なぜなのか?それを問いかけながら、戦時下の証言や史実を集めながら書き綴っていった。
何が間違っていて、何が正しくて、誰がその正誤の判断をするのか、なぜ人はそう思うのか、人をそう思わせるのか、問いかけ続け、ひたすら脚本に込めていった。

その脚本を上演までもっていく、この半年間もまた容赦ない現実との闘いだった。
会議室を舞台化する制約の壁、マスクをしたまま小声の稽古を要請する稽古場、濃厚接触者や体調が悪い人がでれば、安心とわかるまでその間は稽古ができない。
リモート稽古の限界と上演間近に1人でも感染となれば即中止との背中合わせ。
そして前回にも増して作品をたくさんの人に託していく難しさ。
以前より主宰が集まる交流会で危機管理のことが話題となった。いわゆるコンプライアンスだ。
舞台は、どんなに万全と思っても大勢の人間が関わる以上、想定外の問題も起こりえると。
法律の専門家を雇っておくべきとの苦い体験交じりの皆からの説得力。理不尽な事に対しては迅速に対応すべき手立てと立ち会う人が必要なのだと言われ、当初はそこまでの必要があるのかと半信半疑ながら、今となってはやっててよかったと身に染みる。
作品は人間をモチーフに問いかけながら、作品を形にするには人間をどこまで信頼できるかにかかる、矛盾した現実にいつも戸惑う。

メッセージを伝えるためには、自身の限界を超えるエネルギーが毎回必要なのだとつくづく思う。
posted by ユウカ at 07:44| 日記