コロナ禍での二年ぶりの舞台、感染対策で収容を100名に減席した手作り舞台だったが、
ここが会議室だと忘れるほど惹き込まれたという感想を聞くにつけ、生命座に求められているものを痛感した公演でもあった。
時世や場所や関わる人がどうであれ、作品に言い訳はきかないと言うことを。
表現の業界も自粛モードになっていた頃、自分はひたすら脚本と向き合っていた。
早く舞台がやりたいからではない。
駆り立てられていた。ウイルスは人の心にも宿るのではないかと。
折しも世界では戦争が起き、見える敵すら、どの国のどんな偉い人も誰も止めることができない現実に。トップの気持ち一つで世界を破滅に追い込める核の現実に。
もう我々は戦争を知らない世代ではすまされないのだ、と。
情報をリアルタイムで検索できる時代になっても、人は人間はやはり同じ過ちを繰り返す。
なぜなのか?それを問いかけながら、戦時下の証言や史実を集めながら書き綴っていった。
何が間違っていて、何が正しくて、誰がその正誤の判断をするのか、なぜ人はそう思うのか、人をそう思わせるのか、問いかけ続け、ひたすら脚本に込めていった。
その脚本を上演までもっていく、この半年間もまた容赦ない現実との闘いだった。
会議室を舞台化する制約の壁、マスクをしたまま小声の稽古を要請する稽古場、濃厚接触者や体調が悪い人がでれば、安心とわかるまでその間は稽古ができない。
リモート稽古の限界と上演間近に1人でも感染となれば即中止との背中合わせ。
そして前回にも増して作品をたくさんの人に託していく難しさ。
以前より主宰が集まる交流会で危機管理のことが話題となった。いわゆるコンプライアンスだ。
舞台は、どんなに万全と思っても大勢の人間が関わる以上、想定外の問題も起こりえると。
法律の専門家を雇っておくべきとの苦い体験交じりの皆からの説得力。理不尽な事に対しては迅速に対応すべき手立てと立ち会う人が必要なのだと言われ、当初はそこまでの必要があるのかと半信半疑ながら、今となってはやっててよかったと身に染みる。
作品は人間をモチーフに問いかけながら、作品を形にするには人間をどこまで信頼できるかにかかる、矛盾した現実にいつも戸惑う。
メッセージを伝えるためには、自身の限界を超えるエネルギーが毎回必要なのだとつくづく思う。
2022年06月28日
「310万人の送りバント」上演に至るまで〜
posted by ユウカ at 07:44| 日記
2021年01月07日
2021年1月7日の朝にて
本日、二回目の緊急事態宣言が出るそうだ。
寒波も国のお粗末さもひとしお身に染みる。ウイルスは忖度してくれないのだ。
春には見えない敵ゆえの対処法も怖がり方もわからず、後手後手だったのはまだしも、なぜ来たる冬に猛威を振るうと分かっていて夏のうちに最悪の事態に備える準備をしてこなかったのか。
ある与党議員が逼迫しても医療従事者には、その使命感でやってもらえることを願うとか、皆で感謝を伝えよう、とか云ってた。
火災現場で人を救出しようとしている人に、外から有難うとか、がんばれェ、なのか??
防火服や消火器やマンパワーではないのか。それを用意してやってこそ、その言葉が活きてくる。
別の議員は、他国に比べて日本は圧倒的に感染者が少ない、亡くなる方にはお気の毒だが、国のために経済を止めるわけにはいかない、GOTO云々・・。
なんだか、戦時下や特攻隊を思い出した。お国のためなら多少の犠牲は致し方なし。数は少ないというが、もしその死亡する人が当人もしくはその家族となっても、やむなし、と割り切れるのだろうか。
怖いのは、国に、政治家に期待してもムダだし仕方ない、という諦めに近い意識の人が多くなることだ。
保身、隠蔽、誤魔化し、責任転嫁、子供でもわかるウソも通用する世界で気持ちはわかる。
しかし、選んだのは国民だ。コロナ以外の病気や突然の事故で本来なら救える命も救えないという状況にもなってきた。こと命に関わる事態にまで、仕方ない、ではやり過ごせない。
昨年は、公的にはあらゆる予定が中止・延期・変更になった。コロナに関係なく私的には、まさか、こんなことが自分の身に・・と未だ信じ難いことも起きた、というより発覚した。
思えば、一昨年の年明けに、とある関西の有名な神社のお御籤を引いたら、なんと凶、別の神社でもう一度引いたら、まさかの大吉・・ただどちらも内容が意味深ながら似ている。一体どんな年になるのかと思った記憶がある。
因みに大吉のでた社務所で買ったお稲荷様の災難除けカード?なるものを年末久々に見たら、なぜかプラスチックを無理に捻じ曲げたようなくっきりとしたひび割れが・・・なのに割れていない。ギリギリのところで助けられていたのだろうか・・
日々の当たり前は、実は奇跡の連続なんだ、と聞いたことがある。当たり前に慣れすぎると、見るべきものも見過ごすと。
コロナでなくとも、昨年は人生の分岐点であった気がする。
寒波も国のお粗末さもひとしお身に染みる。ウイルスは忖度してくれないのだ。
春には見えない敵ゆえの対処法も怖がり方もわからず、後手後手だったのはまだしも、なぜ来たる冬に猛威を振るうと分かっていて夏のうちに最悪の事態に備える準備をしてこなかったのか。
ある与党議員が逼迫しても医療従事者には、その使命感でやってもらえることを願うとか、皆で感謝を伝えよう、とか云ってた。
火災現場で人を救出しようとしている人に、外から有難うとか、がんばれェ、なのか??
防火服や消火器やマンパワーではないのか。それを用意してやってこそ、その言葉が活きてくる。
別の議員は、他国に比べて日本は圧倒的に感染者が少ない、亡くなる方にはお気の毒だが、国のために経済を止めるわけにはいかない、GOTO云々・・。
なんだか、戦時下や特攻隊を思い出した。お国のためなら多少の犠牲は致し方なし。数は少ないというが、もしその死亡する人が当人もしくはその家族となっても、やむなし、と割り切れるのだろうか。
怖いのは、国に、政治家に期待してもムダだし仕方ない、という諦めに近い意識の人が多くなることだ。
保身、隠蔽、誤魔化し、責任転嫁、子供でもわかるウソも通用する世界で気持ちはわかる。
しかし、選んだのは国民だ。コロナ以外の病気や突然の事故で本来なら救える命も救えないという状況にもなってきた。こと命に関わる事態にまで、仕方ない、ではやり過ごせない。
昨年は、公的にはあらゆる予定が中止・延期・変更になった。コロナに関係なく私的には、まさか、こんなことが自分の身に・・と未だ信じ難いことも起きた、というより発覚した。
思えば、一昨年の年明けに、とある関西の有名な神社のお御籤を引いたら、なんと凶、別の神社でもう一度引いたら、まさかの大吉・・ただどちらも内容が意味深ながら似ている。一体どんな年になるのかと思った記憶がある。
因みに大吉のでた社務所で買ったお稲荷様の災難除けカード?なるものを年末久々に見たら、なぜかプラスチックを無理に捻じ曲げたようなくっきりとしたひび割れが・・・なのに割れていない。ギリギリのところで助けられていたのだろうか・・
日々の当たり前は、実は奇跡の連続なんだ、と聞いたことがある。当たり前に慣れすぎると、見るべきものも見過ごすと。
コロナでなくとも、昨年は人生の分岐点であった気がする。
posted by ユウカ at 10:18| 日記
2020年04月23日
旗揚げ公演「見えない敵」を書いたときと今
今や、世界中が新型コロナ一色だ。
今まで他国の戦争や疫病があっても、国内であれ、クルーズ船内だけのことなら、多分、他国事、他人事、でここまで関心や影響を及ぼさなかっただろう。誰もが足元に火がついてきたからだ。命に関わってきたからだ。
原爆舞台のインタビューで広島の方が、当時、戦争で不自由はあっても、まさかここに暮らす自分たちが一瞬で殺戮されるほどの危機感はなかった、と述べている。渦中になって、その本当の恐ろしさがわかる、と。
今はまだ良い。これからが怖い。コロナも怖いが人間も別な意味で怖い。
誰も正解や解き方を知らない問題を、それも命に関わる難問を時間の猶予なくボン、と出されたのだ。準備ができていない、誰もが今ある日常が当たり前に続くと思っていたからだ。経済的にあまり打撃を受けていないなら、感染覚悟で闘っている医療現場に比べ巣籠りくらいなんてことはない。マスクがなくても生きてはいける。
ただ、今後万一、世界中が自国を守るため閉鎖的になり、食料や物流などが行き届かなくなり、ライフラインにも影響がでたら、多分人は生き延びるためにいずれ暴徒と化すような気がする。もちろん、自分だってそうなったらどうなるか分からない、きれいごとなど言っていられないと思う。
戦争は人間から人間らしさを奪う、と体験者は口々に語る。ウイルス蔓延もある意味戦争なのだ。
旗揚げにやった作品「見えない敵」が今とリンクする部分があり、我ながらゾッとする。
当時、どうしてもこのメッセージを伝えたく劇団を創ったと言っても過言ではない。
作品は、人為的にばらまかれたウイルスが発端だが、未知の敵は想像を遥かに超え徐々に蔓延し、人体に侵入し遺伝子を知り尽くすと変異して、免疫破壊だけでなく脳を麻痺させ、やがて人は理性をなくし、身近な人をも襲うことに。
人は極限状態になると、善悪、理性の判断がつかなくなると言うが、ウイルスよりその怖さを描いた作品だ。警鐘と一抹の希望を残して。
当時は小説の中のこと、あり得ないと言われたが、平和な時にこそ、無関心でいてはならないことを発信したいと思っていた。今も変わりないが。
ただ、渦中にある今となっては感染が一日も早く収束することを願い、自分なりのできることをやっていきたい。
今まで他国の戦争や疫病があっても、国内であれ、クルーズ船内だけのことなら、多分、他国事、他人事、でここまで関心や影響を及ぼさなかっただろう。誰もが足元に火がついてきたからだ。命に関わってきたからだ。
原爆舞台のインタビューで広島の方が、当時、戦争で不自由はあっても、まさかここに暮らす自分たちが一瞬で殺戮されるほどの危機感はなかった、と述べている。渦中になって、その本当の恐ろしさがわかる、と。
今はまだ良い。これからが怖い。コロナも怖いが人間も別な意味で怖い。
誰も正解や解き方を知らない問題を、それも命に関わる難問を時間の猶予なくボン、と出されたのだ。準備ができていない、誰もが今ある日常が当たり前に続くと思っていたからだ。経済的にあまり打撃を受けていないなら、感染覚悟で闘っている医療現場に比べ巣籠りくらいなんてことはない。マスクがなくても生きてはいける。
ただ、今後万一、世界中が自国を守るため閉鎖的になり、食料や物流などが行き届かなくなり、ライフラインにも影響がでたら、多分人は生き延びるためにいずれ暴徒と化すような気がする。もちろん、自分だってそうなったらどうなるか分からない、きれいごとなど言っていられないと思う。
戦争は人間から人間らしさを奪う、と体験者は口々に語る。ウイルス蔓延もある意味戦争なのだ。
旗揚げにやった作品「見えない敵」が今とリンクする部分があり、我ながらゾッとする。
当時、どうしてもこのメッセージを伝えたく劇団を創ったと言っても過言ではない。
作品は、人為的にばらまかれたウイルスが発端だが、未知の敵は想像を遥かに超え徐々に蔓延し、人体に侵入し遺伝子を知り尽くすと変異して、免疫破壊だけでなく脳を麻痺させ、やがて人は理性をなくし、身近な人をも襲うことに。
人は極限状態になると、善悪、理性の判断がつかなくなると言うが、ウイルスよりその怖さを描いた作品だ。警鐘と一抹の希望を残して。
当時は小説の中のこと、あり得ないと言われたが、平和な時にこそ、無関心でいてはならないことを発信したいと思っていた。今も変わりないが。
ただ、渦中にある今となっては感染が一日も早く収束することを願い、自分なりのできることをやっていきたい。
posted by ユウカ at 11:29| 日記