昨年は公演で全精力を使い果たした、だが今も心は燻り続けている
公演が終わっても、年が明けても、今も被爆者の方は亡くなり続けているのだ
やがて原爆や戦争そのものを体験した方が一人もいなくなってしまうのだろう
実体験を語る人がいなくなったとき、残された者はどうやってそのバトンを同じ重みで渡し続けていけるのだろうか
今年はいつ公演をやるのですか?と多く聞かれる
非常に嬉しく、有難い。しかし、未定なのだ
旗揚げから幾年月、生命座はすべてオリジナルの脚本できた
主宰は脚本なんて簡単に書けるのでしょう、という人は多い
2時間の脚本をゼロから生み出すことが簡単な人がいたらお目にかかかりたい
書くことが大変というより、自分の場合、公演をやるために書く、ということができないのだ
普通の?劇団はおそらく定期的に公演をこなすために自作であれ既成であれ、脚本を用意するのだろう
自分は自分の中に駆り立てられるものが発信され、それを伝えなければという強迫観念にも似たものが沸き立たないと書けないのだ。そのため、題材が決まれば書くよりまずは調べるのにとことん時間をかける。現地に赴いたり関係者にも聞きこむ。そこで芝居にして伝えたい、という構想が生まれて初めて脚本となり、公演に繋がるのだ
題材や構想は、いわゆる「直感」というものかもしれない
それが働かないと絶対に書けない
幼い頃から良くも悪くも直感で生きてきたようなところがある
今回、あるエッセイストさんのコラムにうちのコメントを頂いた
「初めて生命座の芝居を観たのは確か、10年くらい前かな。友人に不思議な劇団があるから、と言われ興味本位でつきあった。劇団の芝居なんてどこも大した変わりがないと思っていた。しかし、その衝撃は今も残っている、ある宿主の体内のガン細胞と正常細胞の死闘を描いたものだった。子供だましの題材かと思いきや、ガン細胞がどうはびこっていき、どう巧みに正常な細胞を蝕んでいくのか、当時のガン医療を相当調べて書いたのだろうと思った。絵空事でない説得力がありながら、わかりやすくそして面白く、脳細胞だけは守ろうと身を挺して次々やられていく臓器細胞たちに、いつの間にか自分もがんばれ、負けるな!と珍しく熱くなってしまったこと。ふと見ると周りの観客がみんな泣いていたこと。それ以来公演があれば必ず観にいくことに。
しかし、不定期で大々的な宣伝もせず、当時は気を付けていないと見逃してしまいそうな本当に不思議な劇団だと思った。
でもガラスの仮面のファンがなかなか出ない新刊をずっと待っているように、最近は待っているのも期待値があがってきてワクワクする。現にすずなりの逸声、は良い意味で令和元年一位のトラウマになった。忘れることができない(笑)
やっぱくるね、生命座の作品は」
感謝です、次の直感がくるまで長い目で待っててください
2020年01月13日
2019年10月06日
「太陽が落ちてきた〜すずなりの逸声」公演を終えて
準備に半年間、稽古に半年。漸く演劇祭でもある公演7ステージが終わった。
台風の直撃が危ぶまれた公演日もなんとか小雨程度で乗り切った。
今は残務処理に追われているが、まだ戦時中の、あの感覚が抜けきってはいない。
多分そういう感覚の役者は他にもいるだろう。
ゲネを観たとき内側から沸き立つものを感じた。
色々あったが、みんな、よくぞここまでついてきてくれたと感謝。
ナマでみんなに観せてやれないの本当に残念だ。
メッセージを発信し続けるというのはなんと難しいのか、と改めて思う。
ヒロシマ始め他県から駆けつけてくれた観客も多かった。
もっともっと、あちこちでやってほしいとの声々、本当に有難い。
しかし、どこでやるにしても手ごたえあるものにするためには期間がいる、多数の参加者の都合もある。
再演でも1からいや、ゼロからのスタートに変わりはない。
演出というか総監督である自分は公演をやろうと決意したときは、いつも一軒の家を建てる覚悟で臨む。
まず条件にあう土地を探し、イメージにあう家の設計をして予算を組む。予算に応じた資材を探し、腕の良い職人を選び、足場を組み、施工が始まる。土台や家枠ができたところで漸く各フロアに応じた人たちに内装を任せていく。内装は見た目が良いだけではダメだ、中身もしっかりしていないとすぐにボロがでる。
電気水道など一見わからないところの工事もぬかりなくやらないと家として機能しない。
想定外の追加工事もあれば、悪天で遅々として進まない時もある。
途中挫折しそうなほど辛いことも多いが、完成されると一生のうちでこれほどの達成感を持つとこはなかなかないのかもしれない。良い家であるほど人は来る。
多くの力の結集で、また一つ家を建てることができた。
台風の直撃が危ぶまれた公演日もなんとか小雨程度で乗り切った。
今は残務処理に追われているが、まだ戦時中の、あの感覚が抜けきってはいない。
多分そういう感覚の役者は他にもいるだろう。
ゲネを観たとき内側から沸き立つものを感じた。
色々あったが、みんな、よくぞここまでついてきてくれたと感謝。
ナマでみんなに観せてやれないの本当に残念だ。
メッセージを発信し続けるというのはなんと難しいのか、と改めて思う。
ヒロシマ始め他県から駆けつけてくれた観客も多かった。
もっともっと、あちこちでやってほしいとの声々、本当に有難い。
しかし、どこでやるにしても手ごたえあるものにするためには期間がいる、多数の参加者の都合もある。
再演でも1からいや、ゼロからのスタートに変わりはない。
演出というか総監督である自分は公演をやろうと決意したときは、いつも一軒の家を建てる覚悟で臨む。
まず条件にあう土地を探し、イメージにあう家の設計をして予算を組む。予算に応じた資材を探し、腕の良い職人を選び、足場を組み、施工が始まる。土台や家枠ができたところで漸く各フロアに応じた人たちに内装を任せていく。内装は見た目が良いだけではダメだ、中身もしっかりしていないとすぐにボロがでる。
電気水道など一見わからないところの工事もぬかりなくやらないと家として機能しない。
想定外の追加工事もあれば、悪天で遅々として進まない時もある。
途中挫折しそうなほど辛いことも多いが、完成されると一生のうちでこれほどの達成感を持つとこはなかなかないのかもしれない。良い家であるほど人は来る。
多くの力の結集で、また一つ家を建てることができた。
posted by ユウカ at 07:21| 日記
2019年08月06日
本日8月6日、午前8時15分。黙祷。
本日8月6日、午前8時15分。黙祷しました。
今回の「太陽が落ちてきた〜すずなりの逸声〜」に参加した人たちもきっとそうしてくれていると信じたい。
黙祷しながら心は歯がゆさで波立つ、まだ自分は何もなせていない。
戦争体験のお話を伺った90歳の車いすの女性が私の手をとり、「あなた、一日でも一分でも早く戦争の怖さを多くに伝えて。早くして。私たちが生きているうちに。戦争はみんなの無関心が引き起こす。戦争は知らない間に始まってて、始まっているとわかったときはもうおしまいなのよ」
この前、新メンバーの一人が、広島の原爆ドームに行ってきたと連絡がきた。
とんでもない作品をやるんだ。並大抵の意識ではできない。
とんでもない劇団に入ってしまった、と。
誉め言葉です、といってはくれたが、彼の受けた衝撃は想像がつく。これを演じるなんて、、、と。
役者陣は最後の追い込みを一生懸命やってくれている。演出の自分は当事者になれと更に追い込む。
中には被爆者なんてやったことないから気持ちがわからないという人も。
「バカやろー」と叫びたい。
じゃあ本当に原爆を浴びたらできるのか。殺人鬼を演じるのに本当に人を殺さないとできないのか。
本当の当事者は演技などできない。そんな余裕などないのが当事者だ。
我々は当事者になって演じるのだ。創造力をフル稼働させていくのだ。少なくともそれが今回のテーマに向き合うことと思う。
9月20〜23日の上演まで、もう少しのところまできた。この作品の再演がきまってから色々な意味で
今日まで独り言はやめておこうと思っていた。
心静かに黙祷ができるよう、
観た人が忘れられない舞台としてずっと心に響いていくよう、仕上げます。
今回の「太陽が落ちてきた〜すずなりの逸声〜」に参加した人たちもきっとそうしてくれていると信じたい。
黙祷しながら心は歯がゆさで波立つ、まだ自分は何もなせていない。
戦争体験のお話を伺った90歳の車いすの女性が私の手をとり、「あなた、一日でも一分でも早く戦争の怖さを多くに伝えて。早くして。私たちが生きているうちに。戦争はみんなの無関心が引き起こす。戦争は知らない間に始まってて、始まっているとわかったときはもうおしまいなのよ」
この前、新メンバーの一人が、広島の原爆ドームに行ってきたと連絡がきた。
とんでもない作品をやるんだ。並大抵の意識ではできない。
とんでもない劇団に入ってしまった、と。
誉め言葉です、といってはくれたが、彼の受けた衝撃は想像がつく。これを演じるなんて、、、と。
役者陣は最後の追い込みを一生懸命やってくれている。演出の自分は当事者になれと更に追い込む。
中には被爆者なんてやったことないから気持ちがわからないという人も。
「バカやろー」と叫びたい。
じゃあ本当に原爆を浴びたらできるのか。殺人鬼を演じるのに本当に人を殺さないとできないのか。
本当の当事者は演技などできない。そんな余裕などないのが当事者だ。
我々は当事者になって演じるのだ。創造力をフル稼働させていくのだ。少なくともそれが今回のテーマに向き合うことと思う。
9月20〜23日の上演まで、もう少しのところまできた。この作品の再演がきまってから色々な意味で
今日まで独り言はやめておこうと思っていた。
心静かに黙祷ができるよう、
観た人が忘れられない舞台としてずっと心に響いていくよう、仕上げます。
posted by ユウカ at 18:01| 日記