広島の原爆と現代人に向き合った「太陽が落ちてきた・すずなりの逸声」を再演することになった
再演とはいえ、新バージョンとして台本を書き換え次第、またオーディションを始める予定だ
執筆にあたり、今回も戦時中を生き抜いた人たちの証言を聞いている、80代90代の方々である
高齢にも拘わらず、当時の記憶が薄れていくことなく、今も生々しく語ってくださる
現実に残虐な光景を目の当たりにすれば、記憶は脳裏から離れなくなるのだろう
この先、忘れない、人たちがいなくなる時がくれば、きっとまた人は過ちを繰り返すような気がする
昨今、民主主義の根幹を揺るがす公文書改ざん問題で持ち切りだ
ある与党関係者曰く、安保法案のとき同様、一時的に支持率は下がってもやがて国民は意識が薄れ忘れていくからその時まで神妙な顔して持ちこたえればいい、と
次回の選挙も選択肢がないのだから結局は勝つのだと
昨年、忖度を流行語として面白おかしくとりあげていた世論が不思議で仕方なかった
森友、かけ問題を野党はいつまでやっているのか、というコメンテーターも溢れていた
今回もスクープがなければ闇に葬られていた問題である
さかのぼっていけば、一体どのくらいのウソで物事が決められていったのか
憲法改正だって、いくらでも改ざんして進められたのだろう
その先に待っているものはまた繰り返される悲劇に繋がっていくのが恐ろしい
なぜなら戦前の日本は、政治に不都合な情報を隠す、など当たり前のことだった
国民は与えられた情報を盲信し、疑念に思っても声をあげることができなかった時代
今回も政権の思惑通り、また国民がこのことをいつの間にか忘れていくこと、それが一番恐ろしい
2018年03月14日
「忘れていくことの恐ろしさ」・・公演再演に向ける雑感
posted by ユウカ at 18:12| 日記
2017年08月06日
「太陽が落ちてきた・・すずなりの逸声」上演を終えて
自分にとってはおよそ一年に及んで手掛けた作品が、なんとか無事に開幕、終了した
ゲネをみたとき、漸く手ごたえを感じた、よくぞここまでやった、という自分と役者への長い道のりを思い、武者震いにも似たものが走った
最終日では拍手鳴りやまず、再度のカーテンコールに声が詰まり
反省会では、参加者の様々なこの作品や役との向きあい方や稽古に対する思いを聞き、週一とはいえ、半年間に渡る個々役者との印象深い場面を思い出され、こみ上げてくるものがあった
思えば稽古場では、朝から夜まで自分はほぼ食事もとれないほどの演出指導に分刻みで終日やっても全場面は追いつかず、へとへとになり帰宅後、玄関で倒れ込んで眠ってしまったこともあった
体力との勝負はもちろんだが、精神的な勝負も盛り沢山である
なにせ32人の役者
数ある中、自分が決めたのだから誰のせいにもできない
なにがなんでもこの人たちで作品を完成させるのだ、と目を凝らし神経を集中させ、その演技の一つ一つを見続ける
そして、何が惹きつけないのか、なにが当事者として足りないのか、どうすれば主題がぶれないか、一つ一つ紐解いていく
被爆者辰郎の台詞のもとになった当事者の証言「体験すれば生死が骨の髄まで沁みこんでね、当たり前の生活の有難さがわかるんだよ、体験してない人にね、命の重みなんて伝えきれないしわかるわけもない」
イメージを具体的に伝えるのは難しい、しかし、頭の中ではわかっているができない、という役者も多かった
台本も幾度となく変わった、演出に至っては試行錯誤の繰り返しであった
役者一人一人、その個性、クセ、スキル、感性、キープ力、打たれ強さ、危機感、何もかもが違う、ダメ出しをしてもとらえ方も違う、直せるスピードも違う。半年間、同じことを指摘した役者もいれば、まるで綿に水が沁み込むように演出意図をのみこむ者もいる。個別稽古も増えていく
しかしだ
どんな役者であっても、観客を惹きつける存在になりうるかどうかはまた別問題なのだ
だから私はプロや経験者以外に初心者も毎回採用するのだ
そしてどんな人であれ、最後まで演出を信じてついてきてもらえるかどうか、その一言にかかっているのだ
フィナーレで言った言葉、
過去は変えられませんが、未来にもし、またこのような過ちが繰り返されそうになったら、それを阻むのは、どこかの、誰かではなく、私たち一人一人が強い意識をもって
「それは間違っている」と声をあげていくことだと思います
この言葉は演出ではなく、私の魂の叫びである
戦争はいきなりではなく、すり替えのうまい指導者と大衆の流されていく意識の波がNOと言わせない空気を呼び、水が沸点に到達するように、気が付いたときは始まってしまっているのではないか
そして戦争を終わらせるのは、どれほど難しくどれほどの犠牲を払うのか
表現者として、その危機感を伝える一雫になっていきたいと思う
舞台の反響はこれまで以上に大きく、自分も上演後こそ、そのメッセージ発信のために求められる場にはできるだけ足を運んでいる
再演を望む声も有難いほど多いが、その時はまた新たな顔ぶれとなり、また違う「太陽が・・」になるのだ
今はまだ私の中に、辰郎が、被爆した人たちが、現代の高校生たちが、あの舞台に出た役者陣イメージそのままに息づいているのだ
彼らのお陰でいのちをもった作品、本当に感謝している
ゲネをみたとき、漸く手ごたえを感じた、よくぞここまでやった、という自分と役者への長い道のりを思い、武者震いにも似たものが走った
最終日では拍手鳴りやまず、再度のカーテンコールに声が詰まり
反省会では、参加者の様々なこの作品や役との向きあい方や稽古に対する思いを聞き、週一とはいえ、半年間に渡る個々役者との印象深い場面を思い出され、こみ上げてくるものがあった
思えば稽古場では、朝から夜まで自分はほぼ食事もとれないほどの演出指導に分刻みで終日やっても全場面は追いつかず、へとへとになり帰宅後、玄関で倒れ込んで眠ってしまったこともあった
体力との勝負はもちろんだが、精神的な勝負も盛り沢山である
なにせ32人の役者
数ある中、自分が決めたのだから誰のせいにもできない
なにがなんでもこの人たちで作品を完成させるのだ、と目を凝らし神経を集中させ、その演技の一つ一つを見続ける
そして、何が惹きつけないのか、なにが当事者として足りないのか、どうすれば主題がぶれないか、一つ一つ紐解いていく
被爆者辰郎の台詞のもとになった当事者の証言「体験すれば生死が骨の髄まで沁みこんでね、当たり前の生活の有難さがわかるんだよ、体験してない人にね、命の重みなんて伝えきれないしわかるわけもない」
イメージを具体的に伝えるのは難しい、しかし、頭の中ではわかっているができない、という役者も多かった
台本も幾度となく変わった、演出に至っては試行錯誤の繰り返しであった
役者一人一人、その個性、クセ、スキル、感性、キープ力、打たれ強さ、危機感、何もかもが違う、ダメ出しをしてもとらえ方も違う、直せるスピードも違う。半年間、同じことを指摘した役者もいれば、まるで綿に水が沁み込むように演出意図をのみこむ者もいる。個別稽古も増えていく
しかしだ
どんな役者であっても、観客を惹きつける存在になりうるかどうかはまた別問題なのだ
だから私はプロや経験者以外に初心者も毎回採用するのだ
そしてどんな人であれ、最後まで演出を信じてついてきてもらえるかどうか、その一言にかかっているのだ
フィナーレで言った言葉、
過去は変えられませんが、未来にもし、またこのような過ちが繰り返されそうになったら、それを阻むのは、どこかの、誰かではなく、私たち一人一人が強い意識をもって
「それは間違っている」と声をあげていくことだと思います
この言葉は演出ではなく、私の魂の叫びである
戦争はいきなりではなく、すり替えのうまい指導者と大衆の流されていく意識の波がNOと言わせない空気を呼び、水が沸点に到達するように、気が付いたときは始まってしまっているのではないか
そして戦争を終わらせるのは、どれほど難しくどれほどの犠牲を払うのか
表現者として、その危機感を伝える一雫になっていきたいと思う
舞台の反響はこれまで以上に大きく、自分も上演後こそ、そのメッセージ発信のために求められる場にはできるだけ足を運んでいる
再演を望む声も有難いほど多いが、その時はまた新たな顔ぶれとなり、また違う「太陽が・・」になるのだ
今はまだ私の中に、辰郎が、被爆した人たちが、現代の高校生たちが、あの舞台に出た役者陣イメージそのままに息づいているのだ
彼らのお陰でいのちをもった作品、本当に感謝している
posted by ユウカ at 07:45| 日記
2017年03月16日
「太陽が落ちてきた〜すずなりの逸声」オーディションから早くも半年・・
独り言を書くのは一年ぶりか・・それほど激動の?日々でもあった
今回のテーマは「原爆」・・例のごとく、多大な参考資料と被爆者の方々の生きた声と向き合い、いつもの直観に従い生み続け、昨年10月頭には脚本がほぼ完成した
キャストオーディションを告知するとネットの力だろうか、ひと昔前には想像もできなかった人たちが全国から集まってくれた。新幹線や夜行バスで埼玉の会場にくるのは、今ではもう驚かなくなったほど
生命座のオーディションは個別である、私つまり演出と一対一でないとその人のもつ表現力や人間性が見えにくいからだ。ゆえにそれにかけた時間たるもの、半端ではなかった
会場の一室を昼夜借り切り、一人30分としてもせいぜい一日15人が限度
それを週二回、約三か月、続けた。広報陣の努力もあるが、個別面談ゆえ絶対に自分は休めない、ある意味稽古並みの過酷さだった。五キロ痩せた・・しかし、私の作品に出たいと、わざわざ北本までやってきてくれた人たちだ、決して疲れたとかで手は抜けない。年末は合否に悩む日々、できるものならやる気のある人は全員舞台にあげたいくらいだったが・・私なりにイメージなどで厳選させて頂いた
結果、今年の一月半ばに顔合わせとなった
感無量であった
この人たちがこれから自分の絵を完成させる、かけがえのないひとコマになってくれるのだ
その人の持つ色を、数か月後には他の人では絶対出せない色に染め上げていくのが次の私の役目である
一色でも抜けたら絵は完成しないのだ
紙面のイメージがいざナマの人間に立ち上がると、これがどれほど作品との整合性をあわせることが難しいか脚本と演出をつけたことがある人にはわかるだろう
今はその渦中、ときに心折れそうになる自分を叱咤激励しつつ、懸命にくらいついてくれる役者陣を信じ(自分も出演するが・・)必ずや参加者にも貴重な時間だったと思わせる作品に仕上げるのだ
7月22.23日、生命座初の共催がついた大舞台、来月にはもうチケット発売なのだ、時間も限られてきた
あっという間にもう午前5時だ・・もう今日が始まったのだ・・
今回のテーマは「原爆」・・例のごとく、多大な参考資料と被爆者の方々の生きた声と向き合い、いつもの直観に従い生み続け、昨年10月頭には脚本がほぼ完成した
キャストオーディションを告知するとネットの力だろうか、ひと昔前には想像もできなかった人たちが全国から集まってくれた。新幹線や夜行バスで埼玉の会場にくるのは、今ではもう驚かなくなったほど
生命座のオーディションは個別である、私つまり演出と一対一でないとその人のもつ表現力や人間性が見えにくいからだ。ゆえにそれにかけた時間たるもの、半端ではなかった
会場の一室を昼夜借り切り、一人30分としてもせいぜい一日15人が限度
それを週二回、約三か月、続けた。広報陣の努力もあるが、個別面談ゆえ絶対に自分は休めない、ある意味稽古並みの過酷さだった。五キロ痩せた・・しかし、私の作品に出たいと、わざわざ北本までやってきてくれた人たちだ、決して疲れたとかで手は抜けない。年末は合否に悩む日々、できるものならやる気のある人は全員舞台にあげたいくらいだったが・・私なりにイメージなどで厳選させて頂いた
結果、今年の一月半ばに顔合わせとなった
感無量であった
この人たちがこれから自分の絵を完成させる、かけがえのないひとコマになってくれるのだ
その人の持つ色を、数か月後には他の人では絶対出せない色に染め上げていくのが次の私の役目である
一色でも抜けたら絵は完成しないのだ
紙面のイメージがいざナマの人間に立ち上がると、これがどれほど作品との整合性をあわせることが難しいか脚本と演出をつけたことがある人にはわかるだろう
今はその渦中、ときに心折れそうになる自分を叱咤激励しつつ、懸命にくらいついてくれる役者陣を信じ(自分も出演するが・・)必ずや参加者にも貴重な時間だったと思わせる作品に仕上げるのだ
7月22.23日、生命座初の共催がついた大舞台、来月にはもうチケット発売なのだ、時間も限られてきた
あっという間にもう午前5時だ・・もう今日が始まったのだ・・
posted by ユウカ at 05:06| 日記